2001年以来5度目のヒマラヤ・トレッキング、そして7度目のネパール旅行。今回は、かつてヒマラヤの秘境と言われたムスタン王国の首都ローマンタンを目指す旅、しかも、初孫である12歳(高松第一学園小学校6年)の天明を連れての冒険旅行だった。学校の許可はもらえたが、果たして、12歳で富士山より高い4230mの峠を越えられるか、17日間の長期外国旅行に耐えられるか、不安ではあった。
10月6日の朝7時ごろ、高松からバスで関空に向かい、14時発の中国南方航空で直接ネパールへ。途中広州で2時間の乗り換え待ちがあったが、現地時間22時過ぎにはもうカトマンズに到着した。高松からネパールへ行くには、この便が一番便利で安いと思う。空港で1時間以上かかって40ドルでビザを取得し入国。相変わらず暗い街中を、でこぼこ道でガタガタ揺られながらホテルへ案内された。この日のレートは円高のため、1万日本円が10400ルピーだった。ほとんど日本円と変わらず計算しやすい。
翌7日は快晴。ホテルで朝食中に停電したが、ああ又かと、冷静に対応。午前中は市街を見物したり買い物、暑くてTシャツ1枚で良いぐらいだ。ジャンガムが昼食に高級猪肉カレー店を案内してくれた。猪肉はこの店しか売っていないそうだ。天明が非常に気に入りお代わりを追加していた。午後、国内便でポカラへ移動。かなり遅れたが4時半頃には到着した。ところが、預けていた荷物が1つ届かない。ジョモソンの学校に文具用品をプレゼントしようと用意していた箱が無いのだ。リュックでなくて良かった。空港の職員が、出てきたら後でホテルに届けると言ったが、結局見つからなかった。ネパールではよくあることだが、残念だ。夜はホテルの近くの中国料理店へ行った。そこにボランティアで来ていた中国人の張億さんと知り合った。広州の大学で日本語を勉強したとのことだ。
8日も快晴。6時にホテルへ迎えに来ると約束した案内人のアニールが来ないので、直接タクシーで空港へ行き、手続きしてジョモソンへ移動。後で聞くと前日酒を飲みすぎ寝坊したとのこと。これもネパールではよくあることと諦める。一便遅れてやってきた。ジョモソン空港には、これから我々を案内してくれるサーダーのLakpa Gelje Sherpaが迎えに来ていた。日本にも何回か来たことがあるそうだ。優しい、細やかな心配りのできる人だった。美しい雄姿のニルギリが見えて感無量、我々を歓迎してくれているみたいだ。
ロッジで朝食を食べ、隊を整える。隊員は沢井隆と菊川天明と私の3人、サポーターとして、サーダー1人、ポーター2人、馬方1人、そして馬3頭。白馬のマンボー(リーダーという意味)は常に先頭を行き、隊を賢く導き、私の命令もよく聞くすぐれた馬だった。やさしい茶馬のティカ(ヒンズー教徒が眉間に付ける赤い粉)は天明の専用となった。そして黒馬のカリは、隙あらばリーダーをとって代わろうとする気の強い馬だ。
午後から、いよいよトレッキングの開始。馬に乗って、ゆっくりと、強い追い風に背を押されながら、カグベニを目指す。アンナプルナ山塊とダウラギリ山塊の間にできた巨大なカリガンダキ大河をひたすら逆上って行く。ニルギリや、9年前に近くまで行ったテリッツォピークの白い山塊が美しい。3時間ほどでカグベニのロッジ、アジア・ホテルに着いた。夕食は、ピザやスパゲティ、チキン、ビールにスプライト。スプライトは天明専用で、毎回注文するので、随行のネパール人に「スプライト・ボーイ」というあだ名を付けられていた。ピザやスパゲティは350~400ルピーで、ビールが400ルピー、ミルクティー35ルピー、コーヒー45ルピーだった。ここ数年でものすごくインフレが進んだそうだ。全員、食欲旺盛で快調そのもの。このロッジは部屋の中にトイレとシャワーが付いており快適だった。携帯電話もつながる。
9日、晴れ。朝6時に起きて、ヒマラヤのビューポイントへ散歩した。村の坂道を20分ほど登った所にある。何処からかお経が聞こえてくる。眼下には、大河にせり出したカグベニの村と蕎麦畑が広がる。そして、遠くに、ダウラギリやニルギリ、テリッツォピーク、アンナプルナが見える。
8時に出発。まず、ムスタンへのチェックポイントで手続きをしなければならない。1人につき10日間で500ドルの入山料がいる。青空のもと、馬に揺られて爽快なトレッキング。ヒマラヤ襞、円錐型の土柱群、灌木で覆われた斑山を見ながら、カリガンダキ大河に沿って上って行く。10時頃、小さな茶店でティタイム。すぐ近くに大きなリンゴ農場があった。まだ苗を植えたばかりで5年後には収穫できるそうだ。途中の村には、蕎麦やリンゴ以外にキャベツ、とうもろこしを育てていた。12時半頃、チュサン村で昼食。風がかなり強くなり、目や鼻に砂ほこりが入る。マスクやサングラス、帽子止めは必需品だ。馬に乗りすぎ少し尻が痛くなってきた。14時頃、アッパームスタンの入り口ともいうべきムスタンゲートに到着。ここまでは1日2回バス(ジープ)が来ている。今から来年の春まで、ポカラやカトマンズ、遠くはインドまで出稼ぎに行く家族連れの農民たちが上から降りてくるのに出会う。大きな鉄の橋を渡り、急な坂道を上ると、そこがツェレ村(3050m)だ。
ここのロッジは、部屋の中には木のベッドのみ。水しか出ないシャワールームとネパール式トイレ(和式トイレを簡単にしたものの傍に尻を洗うコップとゴミ入れ、水入りバケツが置いてある)は外にある。テレビがある。インドの電波が入るので番組数が多いのに驚く。携帯電話も使える。夕食は、チーズスパゲティとマトン焼き飯、ニンニクトマトスープにする。今回はテントでなくロッジ泊なので、食事はメニューから選べる。沢井は少し頭痛が始まり、天明は風邪気味だが、まだまだ皆元気だった。
10日、晴れ。6時半に朝食。パンと卵にポテト、人参、ミルクティ。沢井と天明は高山病の薬、ダイアモックスを飲む。ダイアモックスは有名な高山病の予防薬で、呼吸中枢を刺激する効果がある。しかし本来は利尿剤なので、強度の高山病になり水も飲めない状態になれば逆効果となるので注意が必要だ。使用しても2,3日までで止めた方が良いらしい。
7時には出発。ツェレ村を上ると、周りに壮大なヒマラヤ襞の岩山が見える。ゆるい勾配の山道を登って行くと、大峡谷地帯に入る。急崖を削って山腹道を作っている。深い峡谷の向こうにギャッカルの村が見える。蕎麦畑が広がっている。村の上は、灌木に覆われた斑模様の茶色い岩山があり、その上奥に、5000~6000m級の黒い山群が連なり、更にその上奥には、7000m級のニルギリやテリッツォピークの白い雪山が眺望でき、8000m級のアンナプルナも少し顔を見せている。絶景だ。峡谷を抜けた峠で、暫時休憩。9時半ごろ、ポプラ林に囲まれたサマル村に到着。水量豊かな小川が村の中心を流れ、自然に癒される何か不思議な村だ。ミルクティが美味かった。村を出ると急な坂道を下り、次にまた急な崖道を登る。かなり疲れる、しんどい。11時半頃、ベナ着。小さな茶店で昼食。ニンニクラーメンを食べた。1歳半の女の子がシャツ1枚で遊んでいた。強く、たくましい娘に育つことだろう。天明はまだ元気いっぱいで、こんな3600mの高山で私と相撲を取ろうとする。これが後で、大きな禍の元になることも知らずに。長い上りの後、3800mの峠を越えると、風景が一変した。広大な山々、遠くに白い雪山の連峰が見える。
14時半、今日の宿泊地、シャンモチェに着いた。ホテルダウラギリというロッジに泊まる。しばらく休んでいたら、天明が、頭痛がする、気持ちが悪いと言い出した。高山病だ。来たなと思った。熱もあるので、風邪が悪化もしていたのだろう。そのうち嘔吐が始まった。でも呼吸はしっかりしているので、それ程心配することはない、と判断。頭がガンガンすると言って泣いている。「日本へ帰りたい。」「ヘリコプターを呼んで。」と、訴える。苦痛と不安でホームシックに罹っている様子。日本へ電話をかけたいと言うが、当然繋がらない。ミルクティや好きなジンジャエールも飲みたくないと言う。無理やり、水を少しずつ飲ます。サーダーと相談し、翌日朝早く下山することにした。一晩中、横で看病。サーダーも、心配で朝の4時まで起きていたとのこと。
長い夜が明け、ようやく11日の朝が来た。朝食も食べないで、6時過ぎに下山開始。ゆっくりだが、どんどん下る。残念だ。幻のローマンタンとなってしまった。沢井にも申し訳ない。天明は涙目で馬に乗っている。苦しくても、急な坂道は馬から降り、自力で歩かざるを得ない。サーダーが付きっきりで世話をしてくれている。9時半頃、サマル村で遅い朝食。アップルブレッドを注文したが期待外れだった。やはり下りは早い。無理なく、ゆっくり行動したが、11時半には、もうツェレ村に着いた。ムスタンゲートを渡り、チュサンで昼食。トマトスパゲティが美味かった。ここまで来ればもう安心だ。天明の頭痛も、けろっと治った。しかし、まだ食欲はない。風邪と疲労のせいだろう。ここでジープを1台チャーターした。1万円だ。半端でないガタガタ道を、一路ジョモソンへ。16時にはロッジに着き、温めのシャワーでリフレッシュ。天明は、早速日本へ電話して楽しそうだ。夜には食欲も少し戻り、ここで別れる馬方のゴンパルとポーターとの送別会で盛り上がっていた。片言の英語とネパール語、そしてジェスチャーで。飲み物は勿論スプライト。全員で記念写真を撮り、沢井のフェイスブックで流した。
翌12日、ポカラへの飛行機が満席だったため、チャーターしたジープで出発。途中、ダウラギリが綺麗に見えた。何故だか、ネパールには道路に境界があるらしく、ガサ村でジープを降り、昼食後、欧米人の一行と共同でチャーターしたバスで、タトパニ村まで下りた。ここまでの道も酷かった。ガタガタと、乗ってるだけで疲れる。この時期、ダサインというネパールの祭り用に生贄になるヤギの大群が、何十組と、ポカラへ誘導されている。その大群を上手に除けながら進んで行かなければならない。タトパニで、小さなプールのような露天温泉に入る。ここのチキンは美味かった。
13日、朝8時、バスでポカラに向け出発する。バスといっても、フロントガラスが割れた10人乗りのジープに16人も詰め込む。20分ほど行ったところで降り、細い坂道を上り下りして、次のバス停まで歩く。そこから、また、バスの狭い席に座り、ガタガタ道を約2時間近く、我慢我慢ひたすら耐える。11時頃、ようやくベニの町に到着した。ベニからは道路が舗装されている。小さなタクシーで、目的地のポカラまで2時間半だ。ポカラは大きな観光都市で、ホテルには当然バスタブがある。ゆったり湯に浸かり、極楽極楽、心身ともに解放される。
14日は、人生初のパラグライダー体験をした。飛行はたった30分間ぐらいで、あっという間に終わってしまった。夜は、ジャンガムや地元の警察署長、機動隊隊長と会食し、ネパール舞踊も観覧した。
15日、昼、機動隊隊長のサンブさんに、普通外国人は入れない隊長宿舎に招待された。カレーをご馳走になり、プレゼントまで貰った。隊長には常に鉄砲を持った護衛が付いている、公務の時は8人で普段でも2人。かつて、マオイストとも戦ったそうだ。サンブさんが、初めて天明を見るなり、「おお、グルンボーイ」と言った。グルンは、イギリスの傭兵で有名なグルカ兵の民族名だ。ククリ刀を持って勇壮に戦う民族、その民族に顔が似ているらしい。天明は、ネパールに来て、2つもニックネームができた。スプライトボーイとグルンボーイ。人気者で幸せだ。本人は分かっていないが。
16日。いよいよネパール最終日。天明だけ、やっと日本に帰れるのでワクワク。午後3時過ぎポカラを出て、カトマンズで夜まで観光と買い物。夜中の23時過ぎに、カトマンズを飛び立ち、17日の午後1時には関空着。これで、ムスタン不完全旅行の終了となった。まあ、皆無事に帰れて良し、としよう。最後に天明の感想、「日本が一番いい」。
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