2023年11月22日~29日
「秘境の王国」とか「幸せの国」と言われるブータンに行ってきた。往復8日間の旅だがブータン国内は5日間だった。旅は4人のチームで、沢井隆も一緒。
ブータンは、人口が約80万人で、面積が九州とほぼ同じ。奄美大島と同じ緯度で、基本は亜熱帯性気候だが、高いので寒い。
ブータンは、チベット仏教(大乗仏教)に根差した伝統生活をしており、人が素朴で心温かく優しい。恵まれた自然と神に守られた、心豊かな国だった。一方、インフラがまだまだで、経済は遅れていて貧しい。2008年に憲法が制定され、議会制を導入した立憲君主国だが、依然として国王の権威と力は大きい。最終決定権は実質的に国王にあるようだ。今の体制に改革した第四代国王は現在68歳で生きているが譲位し、今の第五代国王は43歳。2011年に、美しい王妃と共に来日し話題となった。すでに王子が2人いて、今年王姫が誕生した。ブータンは、政治と宗教、国王と大僧正が両立して、国を治め導いているようだ。
経済的な発展よりも、人々が日々幸せだと感じて暮らせることを目指す『国民総幸福量GNH』を政治方針としていることが注目されているが、確かに、大きな欲望を抱かなければ幸せな国、だと感じた。高校までの教育費は無料、医療費も無料、税金は安い。慎ましい生活をすれば、心豊かに生きられる。国家の収入は、水力発電による電力の七割をインドへ売った収入と観光収入がほとんど。外国人がブータンに入ると、1日100ドルの税金がかかる。今回の旅行費用は約70万円だった。
ブータンは、完全な仏教国、国民の8割がチベット仏教徒で、チベット仏教の伝統文化が人々の生活習慣や価値観の根幹をなしている。虫も殺さず、死刑もない。ブータン人も、鶏肉や豚肉、牛肉を食べるが、それは隣のインドから輸入している。争いを好まない。普通の警察官は拳銃を帯同していないし、国境の守備兵は武器を持たずにゴー(ブータン国民服)を着ているらしい。
今回のブータン訪問で、カルチャーショックが一つある。第四代国王には夫人が4人いるが、それがなんとなんと4姉妹。4人と同時に結婚したそうだ。長女がプナカ高校で国王と同級だった。長女や次女には女の子しか生まれず、三女に生まれた男の子が、現在の第五代国王。
さて、旅の報告に入る。
高松を出て羽田で前泊し、バンコクで一泊した後、24日の朝7時過ぎに、ようやくパロ国際空港に着いた。日本との時差は3時間。標高が2100メートル。空気が冷たくて済み切っている。ガイドのリンチェンと運転手のヨンセンが迎えにきてくれていた。リンチェンは日本語が堪能、二人とも、人が良くて優しい。大当たり。専用車で、首都のティンプーへ向かう。途中の小さな売店で硬い乾燥チーズを買ったメンバーがいた。ブータン通貨を持っていなかったのでガイド、なんと驚くことにスマホ決済した。2時間ほどで、ティンプーに着いた。車が多いが信号機がない。建設ラッシュで、主にホテル、アパート、商店を建てている。
ホテルにチェックインした後、近くのブータン料理店へ行く。チキン豚肉野菜料理の一皿盛りと、パサパサ赤米の大盛。辛いが美味い。食後は、2016年に完成した巨大で金ぴかな大仏寺や、第三代国王を記念したメモリアル仏塔へ行く。ティンプー市街地を見渡せるある丘へ行った。そこから見える山の至る所に、白い旗の群れがある。聞くと、死んで21日以内に108の経文旗を立てるそうだ。死者は21日以内に、次の転生先が決まると信じられていて、遺族は、死者がより良きものに生まれ変わることを願って建てる、そうだ。誰も、虫や畜生に生まれ変わりたくはないだろうな。夜は、ライトアップされた国王の政庁タシチョ・ゾンを見学。ゾンは政庁兼寺院で、ブータン各地にあり、砦の役割もある、日本の城みたい。夕食はホテルのレストランで。サラダ、スープ、チキン料理。ブータンビールが美味しかった。ティンプーは高度が2300メートルあり、かなり冷える。
翌25日は朝8時15分出発。1時間ほどで3150メートルのドチェラ峠に着いた。ここは、ブータンヒマラヤを見る絶好ポイント。7000メートル級の白いヒマラヤが実に美しい。西から、マサンガン7194メートル、テーブルマウンテン7205メートル、そして、ブータン最高峰のガンカルピッツ7570メートルが見える。ガンカルピッツは、三兄弟の白い山という意味。実は、ブータンには、ガンカルピッツよりも高い山、クラガンディがあったが、30年ほど前に、中国に取られたそうだ。
11時前。旧街道の要衝だったティンレイガンで車を降り、いよいよトレッキング開始。坂道を下り川治いを1時間半ほど歩く。暑い。暑くて下着一枚になって歩いた。蝉が鳴いている。山桜や赤いポインセチアが咲いている。ポインセチアは日本のと異なり、3メートルぐらいのクリスマスツリーと化している。有名な寺院がある処から、坂道を上り、後は、ひたすら松林の中をトラバースする。沢井は膝の調子が悪い。予定より遅れ、4時頃トレッキング終了し、ようやくランチ。ヨンセンが、テーブルまで用意してくれていた。美味しいブータンカレーに舌鼓を打つ。皆、感激。
食後、古都プナカの山荘へ移動。この山荘は山の上にあり、プナカの街が一望できる。しかし、シャワーのみで、あまり湯が出なかった。
26日は朝ゆっくり9時に出発し、プナカゾンへ。男川と女川に挟まれたプナカゾンは、守に堅固で美しい。標高1300メートルなので暖かく、ブーゲンビリアが咲いている。ゾンの真ん中に、大きな菩提樹の古木があった。午後は、子宝の寺としてブータン人から信仰されているチミラカン尼寺を訪問して、再びドチェラ峠へ。偶然、ティンプー王立芸術学院の生徒たちが、ブータン宣伝映画を撮影中で、ブータン舞踊を楽しめた。ラッキー。5時半頃、ティンプーの同じホテルに着いた。ホテルで、初めて、オイルリンパマッサージをした。1時間5000円。
27日は朝早く7時半に、有名な断崖の寺院タクツアンへ出発。9時過ぎに登山口に着いた。タクツアン僧院は3100メートルの高知にあり、登山口からの高度差が600メートルある。かなり厳しいトレッキングだ。10時15分、第一展望台に着き、ブータン茶とクッキー。目の前に、断崖にへばり付いた僧院が見える。最後の下り上りが大変そうだ。沢井は又膝の調子が悪い。第二展望台から崖を下って滝を見学し、最後の上り階段はハーハーヒーヒー拷問だ。午後4時頃、登山口にたどり着き、ようやくランチ、腹ぺこ。餃子が美味しかった。約7時間のトレッキングを終えて、パロのホテルへ。夜は満月だった。
ブータン最終の28日、朝、9時に出発。ブータン第二の高峰チョモラリーをチラッと見て。ブータン最古の寺キチュ・ラカンを見学。11時頃、民家を訪問した。先ず2階にある居間へ案内された。真ん中に薪ストーブがあり暖かい。ストーブの周りに座り、お茶の接待を受ける。台所の燃料は、プロパンガスと電気。国民服ゴーを着付けてもらい記念撮影した。すっかりブータン人に見えたみたい。大型テレビや冷蔵庫もあるが、インド製はすぐに壊れるらしい。家庭料理をご馳走になり、飛行場へ出発。
パロ空港を4時に出て、8時過ぎバンコク着。ホテルで、久しぶりに、たっぷりと温かい湯につかり大満足。
29日、いよいよ帰国。バンコクは3時間前に空港に着かなければいけない。30分ほど遅れて10時ころバンコク発。飛行機に乗って、4時間ぐらいたった時、隣の沢井が手を掴み、「おい川田、胸が痛い」と言い出した。びっくり。チーフスチュワーデスに来てもらい対処した。皆、羽田での一泊を覚悟した。羽田では、ANA社員が付き添い、車いす対応してくれた。少し状態が落ち着き、高松まで帰ることにした。高松に着いた時には一人で歩けた。
ところが、30日の夜、救急車で中央病院へ運ばれた。心筋梗塞だった。心臓に入れていたステントが再狭窄したようだ。12月3日の午後、集中治療室から一般病棟へ移った。俺と同じで、ワルは生き残る⁉
2023年12月4日・記
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